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 4/9土曜日、我々KIZUNAプロジェクトのメンバー石田、菅井はチームまるごみの支援活動に加わり、4トントラックに満載の荷物を積んで宮城県へ向かいました。

当日朝4時に浦安を出発し、7時に蓮田SAで今回の支援メンバーであるタレントの山寺宏一氏、DJ KOUSAKU氏、タカラトミー三森氏、大黒屋ビジネスコンサルティング青田氏、月刊ソトコト編集部の皆さんらと合流し、数台の車両で連なって亘理町と山元町へ向かい、正午過ぎに現地入りしました。

今回お届けした主な物資は、オートクラフトさんからお預かりした整備済みのスーパーカブ7台、ショーワノートさんからお預かりした文房具、小学館さんからお預かりしたコミック類、タカラトミーさんからお預かりしたおもちゃ、ティンカーベルさんからお預かりした子供服、ソトコトさんからお預かりした子供用くつ、そのほか購入したたくさんの下着、ひげそり、缶詰め、レトルト食品、野菜ジュースなど、4トントラックに満載の物量になりました。

また今回は亘理町と山元町のローカルFMに宮城県出身の山寺宏一さんに生出演していただいたり、数カ所の避難所で生活を続けている子ども達のため、みんなが大好きなキャラクターの声などのものまねをしていただいたんですが、僕らの不安を吹き飛ばすように、子どもから大人まで皆さん楽しんでくださって、本当に良かった。その後お預かりしたたくさんのおもちゃ、文房具、子ども靴などの子どもグッズを、子どもたちに直接手渡してきましたが、これまたみんな大はしゃぎで、本当にかわいかったし、僕らも嬉しかった。
ookumashou.jpg







山寺さん自身も、避難所に入る直前まで、現地の方々が僕らを受け入れてくれるのか、不謹慎だと指摘されるのではないか、売名行為などと思われるのではないかと危惧されておりましたが、子どもたちの満面の笑顔を見てほっと胸を撫で下ろしたそうです。
宮城県が故郷である山寺さんにとっても、今回の震災は本当に辛い出来事であり、いち宮城県人としてこれからも全力で支援にあたりたいとおっしゃっておられました。

もちろん、僕らのしたことはほんのひとしずくの行為であり、それでけで被災地の皆さんの心を満たす事はできないことはわかっていますが、こうした小さな小さな、ささやかなアクションが皆さんの心に少しでも希望の灯火を照らす事ができていればと、切に願っております。
watari.jpg







亘理町も山元町も、今回の大津波でたくさんの犠牲者が出てしまった町であり、今日会った子どもたちの中でも、親や兄弟を失ってしまった、という子たちが何人もいました。

でもみんな、強く、たくましかった。

僕ら大人たち以上に、子どもたちは豊かな感受性で、大自然の怖さと偉大さ、命の尊さを理解しているんだと感じました。

もちろん、心には大きな傷を負っている彼らに、一日も早くケアをしてあげなければいけない。
幼少期の人格形成の大切な時期に、不安を感じることなく勉強やスポーツや遊びに夢中になれる環境を用意してあげなければいけないと強く感じました。

これからも一人一人の小さな力を集めて、現地の人たちによる復興のための後方支援隊として、引き続き全力を尽くしていきます。

絆プロジェクトリーダー 石田雅英

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2011.4.4

早朝2時に浦安を出発し、宮城県亘理郡亘理町〜山元町の避難所と、福島県郡山市避難所へ物資搬入に行ってきました。

亘理町には生活物資が中心、山元町へは食料物資を中心に納品してきました。
地域によって必要物資は大きく異なるようです。

亘理町では役場施設を利用し市民ボランティアチームがローカルFM局を開局し被災に関するありとあらゆる情報を放送していました。
これが唯一、町の情報共有ツールとなっています。
 担当職員と、代表者の方とお話をし、現地にプロジェクトチームを発足し今後の支援活動での連動を取り決めてきました。

プロジェクトネームは『kizunaー絆ー』です。

近々に、まるごみでもおなじみのTAKERUさんを中心に、被災した子供達とともに復興イベントをおこなう予定です。
僕らはこの時期にのイベント開催に戸惑いを感じましたが、亘理町地区においては1ヶ月近い避難生活の中で、連日流れる悲しいニュースに多くの方が明るい話題を望んでいるとのことでした。

その後、今回便乗させていただいた石田さんの介護用電動ベッド搬入先の福島県郡山市ビックパレットへ向かいました。
国道6号線を上り、原発災害の30km圏内にある相馬市を経由し郡山市へ向かうルートでした。
宮城県南東部から福島県北東部(新地町ー相馬市)の海岸部の町はほぼ壊滅状態でした。
新地町から相馬市にかけては放射能問題の影響もあり、未だ救援の手が届ききってはいない状況でした。

半径20km地点では徹底的な通行止め規制をひいており、道路がわずか数百メートルほどエリアに被っているだけで10kmに近い迂回を余儀なくされました。

おかげで倍以上の運転時間をかけて郡山へと到着しましたが、無事に郡山の福祉救護担当に介護ベッドを届け帰路につくことができました。

石田さん、運転ありがとうございました。

副実行委員長 菅井

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 いつもまるごみの活動を応援してくださっている、ルアーメーカーimaの五十嵐社長より、東北支援物資としてナント3599枚のimaウエアをお預かりしました!!ご協力ありがとうございます!!

ブログタイトルの「笑顔と元気を日本中に届けよう!」は全ての段ボールに貼られた紙に書かれていたメッセージです。


imaT.jpg





Tシャツ、パーカー、トレーナーなどのたくさんの洋服は、宮城県石巻市、亘理町、山元町、岩手県陸前高田市へと全てお届けさせていただきました。

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3月16日 千葉県旭市 旭市ボランティアセンターへの物資運搬・復旧支援
3月20日 福島県郡山市 ビックパレット福島への物資運搬
3月22日 福島県南相馬市  相馬市サテライトへの物資運搬
3月23日 千葉県浦安市 まるごみ勝浦チームによる復旧支援

3月24日 宮城県石巻市 明友館への物資運搬
3月26日 宮城県石巻市 明友館への物資運搬
3月28日 宮城県石巻市 明友館への物資運搬
福島県相馬市 物流センター物資運搬
茨城県北茨城市  ひらた病院物資運搬

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 石田です、皆さんお疲れさまです。

千葉県内も大変な中、前線で走り回っている皆さん、後方支援してくださっている皆さん、本当に本当にありがとうございます。

これからも復興に向け長い長い道のりになりますが、全てはこれからの時代を担う子どもたちのために、みんなで力を合わせて頑張っていきましょう。

さて震災後のこれまでに集まった義援金と、これまでに購入した物資の支出の集計を出しましたので、中間報告させていただきます。(震災日から3/30までのものです)

(+収入)義援金総額 1,176,325円
(ー支出)領収書総額 1,139,220円
-------------------------------------------
               差引残高 37,105円


それから、まるごみホームページに緊急支援チームまるごみの特設ページを本日正式に開設しましたので、お時間があるときにご確認お願いいたします。
http://marugomi.jp/index.php?go=Z117Fm
(日常の自分の業務と支援業務で更新が遅れがちですが、引き続き頑張ります)

なお上記ページにも書いておきましたが、現在チームまるごみとして支援しているのは福島県、宮城県、岩手県です。
本日岩手県の陸前高田市からも支援要請があり、来週火曜に船橋大原さんのチームに飛んでもらう予定です。
また宮城県亘理町には菅井さんとTAKERUさんが日曜の夜に出発、それと明朝出発の便は石巻市へ断熱材、食料品、衣料品、オートバイなど、郡山市へ車いす5台を積んでKOUSAKU&大原さんチームが向かいます。
また明後日は石田が介護用の電動ベッド2台他を郡山市に届ける予定です。

取り急ぎ以上です。ご確認宜しくお願いいたします。

石田雅英

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